木曜の午後十一時過ぎ。
『もひもひ……?』
 なんて惚けたような電話の声。
「……ごめん。寝てた?」
『んー、うたた寝しちゃってた』
 会社の飲み会だったの、と彼女は言う。
 早めに抜け出したのはいいけど家帰ってきて寝ちゃってたみたい、と。
「つらいようなら、またにするよ」
『だめーっ』
 一応心配して言ってみたのに。
『……もう目が覚めた。ばっちり目が覚めた。だから、切っちゃ駄目』
 なんて。
「……わかったよ」
 電話の向こう側からもかすかな笑い声が響いてくる。
『今帰ってきたの?』
 まさにその通りだった。
 居間に入り、最低限の明かりだけをつけた状態。
 喉を潤す間も惜しい。
『ちゃんと食べてる?』
 前触れのない問いに少し、ぎくりとする。
「……一応」
 そう答えはしたけど、彼女にはお見通しだったようで。
『――体重五百グラムで十円罰金ね』
 少し怒ったような声音で、そんなことを言う。
 ……罰金?
 しかも、十円?
『言っておくけど、乗算じゃないよ? 累乗だからね?』
 ということは。
「……一キロなら百円だけど、二キロだと一万になるわけだ」
『そうよ? 三キロ減ったら百万だからね? 四キロだと一億円になっちゃうからね?』
 それはそれは。
「――なかなか面白いことになりそうだね。一千万くらい用意しておこうか?」
 からかうように告げると、
『そーゆーことしたら、誕生日のプレゼントなんてあげない』
 言われて思わず笑った。
 頬が、緩む。
「――それは嫌だな」
 そう答えたら、電話の向こうからも鈴を転がすような声が聞こえた。
 潤い、満たされる。
 精神的に疲れていたはずなのに、もう随分気が楽になっていた。
 開けっ放しだったカーテンを閉めようとして、窓辺に向かう。
「――今日、満月だよ」
 眩しい光に気づいた。
『あ、ほんと?』
 優しい声音。
 そしてかすかな足音。
 同じ月を見上げる。
 近いようで遠く……、でもこうして想いを馳せる時間を持てる。
 今、何を想っている?
 おそらくは、同じことを。
 同じ、気持ちで 。
「……どうせなら、一曲、弾いてみようか」
 約束してたからね、満月の夜のリサイタル。
 自然に鍵盤の蓋を持ち上げていた。
「聴きたい曲があれば、リクエストに応えるよ」
 言うと、そうね……と思案げな言葉が返ってくる。
 彼女から出てくる言葉を、僕は予想できずにいた。
『――この前の曲がいい』
 彼女がそう言って。
 継いだ言葉で、僕を、貫く。
『セレナーデ』
 と。
 
 
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